「私/仲間 〜仲間がいての今の私〜」

(鹿児島県)溝辺町青年団連絡協議会 剥岩 ももえ

 2002年8月14日。私は、地元竹子の空に打ち上がる花火を見ていました。仲間と見上げる花火。「ドン」と打ち上がる度に、私の頭の中には様々な思いが駆けめぐってきました。「この仲間と一緒にいてよかった。青年団に入って本当によかった。」と、改めて実感したのはこの時でした。

 わが溝辺町青年団で、毎年開催するのが「竹子盆踊りの夕べ」です。溝辺町の竹子と言う小さな地域の小さな祭りですが、私の中ではどこの祭りよりも最高だと思っています。思い返せば、私が青年団の仲間と出会ったのが、今からちょうど3年前、高校3年の夏の事でした。青年団に入っていた兄に連れられ、『ちょっと盆踊りの準備に行かんか。』とその一言で私は竹子青年会館に足を踏み入れました。会館の中は男性ばかりでしたが、盆踊りが間近ということもあり、足の踏み場もない程の散らかり様で、さすがに「えっ。何これ。」と正直なところ思いました。でも、灯ろう作りや看板作りをしている姿や、地域の家一軒一軒にお願いし寄付をもらいに廻る一生懸命な団員の姿を見てたら、「私も高校を卒業したら青年団に入ってみようかな。」と次第に思う様になっていました。

 今年4月短大を卒業し、私は地元の保育園に就職しました。新社会人として毎日 無我夢中になり働いていました。そして2ヶ月が過ぎ、6月になり盆踊りの夕べの話し合いが始まりました。仕事で疲れて行きたくないと思う反面、みんなも同じだし行かなければと、青年会館に足を運んでいました。最初の話し合いの時、今のこの少ない青年団の人数でできるのか。盆踊りまでの準備期間は2ヶ月。自分達で企画を立て、様々な交渉をしていかなければなりません。やらなければならないことは山のようにあります。自分の時間を全て使って、遊びにも行けず準備に追われる毎日は辛いもので、やはりみんな「きつい。いやになる。」と言う様な声がありました。しかし、じゃあ青年団がしなかったらどうなるのかを考えると、きっと26年間続いてきた竹子盆踊りが無くなってしまいます。みんなで何回も話し合って出した答えが、青年団が動かなければどこも動かない。子どもの頃から楽しんできた思いで深い盆踊りを無くしたくない。『やっぱい 青年団が キバッが!』と団結しました。

 溝辺に生まれ 溝辺で育った 私たちは、地域との関わりを深めたいと強く思っています。盆踊りの開催には、地元の小学校、保育園、自治公民館や消防団が地域一体となり取り組まなければなりません。地域をうまく一つにまとめ 引っ張っていけるのだろうかという不安もありましたが、成功させたいという強い気持ちがそれよりも大きく、実行委員会を立ち上げました。団員 ひとり一人が 地域の家 一軒 一軒を廻り 又 地元の企業等にも寄付のお願いに廻ります。お願いに廻ると快く寄付をくださる地域の人々。『青年団やぁ。キバレよ。』と応援してくれる一言一言が私たちにとっては凄く嬉しかったです。この寄付がなければ盆踊りの夕べを開催する事はできません。これも地域の支えの一つ。当日の会場である小学校に飾る灯ろうは、保育園、小学校にお願いします。

園児、児童がいろんな思いを込めて描いた灯ろうの紙を一枚一枚貼っていくたびに、26回も続いているという事は、私が生まれる前からこんな風にしてきたのだと感じ、盆踊りを続けてきた青年団の先輩と、それを支えてくれた地域の人々に感謝しなければならないと思いました。そして、10年後、20年後、この灯ろうを描いたこの子供たちが私たちのように盆踊りの夕べを受け継いでくれたらうれしいなぁと思ったのです。

 いよいよ本番。私は司会として舞台の上に立っていました。緊張してうまくつとまるのかどんどん不安になっていきましたが、「みんながいるんだ。」と心に言い聞かせたら落ち着くことができました。周りが暗くなると同時に会場には続々と人が集まってきます。子供からお年寄りまでと様々です。ちっぽけな祭りかもしれませんが、見に来て下さった方々は楽しみにしています。わたしもそうだったからです。小さい頃から8月14日になると浴衣を着て盆踊りを見に行っていました。自分の灯ろうが飾ってあることが嬉しくて、親しみがもて居心地が良ったことを覚えています。途中、雨が降りそうになり、プログラム最後の花火は打ち上げが可能なのかぎりぎりまで分かりませんでした。その時、団員みんなが思ったはずです。「花火が上がりますように。」と。その願いが叶い「ドン ドーン」と打ち上がる度に会場から歓声があがりました。胸にぐっとくる思い。私たちと地域が一つになったから成功出来たんだと感じました。この感動はきっと忘れません。盆踊りの後『竹子は、よかねー!!』と、帰省してきた人たちからの声を耳にしました。やめなくて良かった。みんなで頑張ってよかったと思いました。

 青年団に入って仲間と出会ったことで、今の私がいます。青年団に入っている自分とそうでない自分とでは大きく違ったと思います。学生の頃の仲間、職場の仲間とは違う仲間が青年団の仲間だと思うのです。本音を言い合い、お互いを認め、時には反発しながらも一つの大きな事に一緒に立ち向かえる仲間、それが青年団だと思います。私の周りには青年団という存在すら知らない同世代はいっぱいいます。色々な面で甘えて育ち、苦しいことや辛いことに立ち向かえず、逃げてしまう同世代をいっぱい見てきました。私も、もし高校時代に溝辺町青年団と出会っていなければ、そんな同世代と同じだったかもしれません。溝辺町青年団に入り私は自分一人の力は小さいけれど、仲間と力を合わせると大きな力になることを知りました。竹子盆踊りを通じて地域の人々があたたかく見守り、そして支えてくれている事を知りました。社会や青年団の一員として、活動する上で自分一人の力で成し遂げられることは何一つありません。周りの人たちの協力、支えがあってこそ、何事も一つ一つ成り立っていくと実感しました。何にしろ私たちは支えられているのです。支えてくれる仲間と、今私は、溝辺町で生きている事を幸せに感じます。いつか歳を重ね、

今のこの20代の頃を思い出すとき、この仲間と過ごせてよかったと思える様に、もっと多くの仲間と色んなことに挑戦したい。自分を磨きたい。そして、お互いを高め合っていきたい。そのためにも、もっともっと青年団活動に夢中になれる私でありたい。

 はいって良かった青年団!!

 私/仲間  仲間がいて今の私がいるのです。